瞑想のすすめ番外編:子育てに活かすマインドフルネス
こんにちは、yukkoです。
2日間に渡り開催された、幸せに生きるための技を瞑想と脳科学から考える講座。
2日目は【コンパッションを子育てに活かす】というテーマで行われました。
コンパッションとは、慈悲という意味。
マインドフルネスが自分の内側に注意を向け、気づきを得るのに対し
コンパッションは相手に注意を向け、共感することで思いやりが生まれる
コンパッションを子育てに活かすとは
一言でいうと、この思いやりを活かそうということ
スティーブン・マーフィ重松氏というスタンフォード大学の心理学者によると、マインドフルネスとコンパッションを活かした子育てとは以下の定義だそうです。
子供たちを見るときは価値判断を含まず
自分が望む姿としてではなく
その子本来の姿をみることである
いやー。耳が痛い。。。
親が持つ価値判断
これは良くて、これは悪い
食べ物、行動、言動
それらの大体は親によって子どもに刷り込まれていきます。
野菜食べなさい
仲良くしなさい
ごめんなさいって言いなさい
親の【しなければならない】と思っていることを教えがち
もちろん、親は悪気はなくて、子どものことを思って教えてるんだと思う。
そりゃお菓子より野菜を食べたほうが健康的だろうし
お友達と仲良くできたほうがいいだろうし
ごめんなさいは言えたほうがいい
でも、子どものときって
そういうのやりたくないときもある
お菓子たべたいし
なんとなく仲良く出来ない子もいて
ごめんなさいと言うのに納得できない時だってある
先ほどのスティーブン・マーフィ重松氏は以下のようにも供述している。
結果に執着するよりも、子どもの人生に今展開しつつあることにマインドフルになることだ。
つまり
親である自分がマインドフルネスでいること
先の結果よりも今という瞬間がとても大切だということ
子育てはついついできたこと=結果に執着しがちになる
赤ちゃんの状態から、少しずついろんなことができるようになっていくけれど
それらは、大人からすれば既に簡単にできることも多い
だから段々とできることが当たり前になってしまって
できないことのほうに目を向けがちだ。
さらには、それが「できなければ、将来困る」というような
親の体験、想像する範囲でのエゴの場合もある
冒頭に書いた重松氏の言葉にある
「その子本来の姿を見ること」
親がマインドフルネスでなければ、子どもをありのままの姿としてとらえることができないのではないだろうか。
親として子どもの幸せを願うからこそ、やってしまうこともあるかもしれない
しかし〇〇しなければならないに囚われてしまうと
自分自身だけではなく、子どもの感じ方にまで蓋をしかねない。
問題児という言葉があるけれど
静かにできない、言うことを聞かない、周りに合わせられない
問題=大人の都合である場合も多い
本当にそうだろうか?
なんならもしかして、思いやりある行動に見えて
実は大人が主導権を握っていたいだけなんてこともあるかもしれない
子どもや自分以外の相手を、自分の思うようにコントロールしようとしないこと
その上で、私は思いやりをもって接していきたいなと思う。
今回2日間に渡り「幸せに生きるための技を瞑想と脳科学から考える」講座を開催してくださった講師の藤野さん、そして主催の岩月さんに心より感謝申し上げます。